かれいなまでにはかあなをほった
「サンディ、サンディ、ちょっと聞いて!」 「……んあ?」 妙に嬉しげなトラヴィアの声に、サンディは重い瞼を上げて彼女を見る。未だはっきりしない寝起きの頭で、馬車の揺れだけをいっぱいに感じながら、ごとんごとん、サンディはふと感じる。――こんなに嬉しげに話すだなんて、珍しい。 トラヴィアは嬉しげに、または興奮したようすで、どちらにせよ彼女にしてみれば明るい笑顔で、束の間の睡眠に浸っていたサンディを揺り起こしたのだった。 「あのね、私はずっと考えていたの。サンディに以前言われたこと。」 「……は? 何ソレ?」 トラヴィアは至って真剣にそう言うのだが、言われたこちらは全く身に覚えがない。しかし彼女はサンディの声を聞いてか聞かでか、そのまま話し続けた。 「確かにこの、私の師へ向ける感情は、通常の弟子の師に対するそれとはかけ離れているのかもしれない。 私は悩んだわ。サンディにあのときああ言われてから、真剣に悩んだの。私の師を想う気持ちは、しょせんは単なる恋愛感情に過ぎなかったのかと。私は師をそのような目でしか見ることができていなかったのかと。私は弟子として、ずっと、常に、師を想い続けてきたはずではなかったのかと。 でもねサンディ。私は今、気付いたの!」 とにかく、「彼女にしてみれば」珍しく。トラヴィアは話す。その話す調子は非常にスムーズで、しかも抑揚に富んでいる。 だがサンディにしてみればそれももはやどうでもよいものであった。彼女自身は自分がトラヴィアにしたのだという話の内容などすっかり忘れてしまっていたし、何より彼女は眠いのだ。定感覚に起こる揺れの心地良い、穏やかな睡眠を早く取り戻したかった。 これが例えば別の人物の“コイバナ”とかだったら、サンディもかなり食いついていただろう。だがしかし、もはや既に、サンディは目の前のトラヴィアという元天使に対して決め付けてしまっていたのだ。 「(どーせつまんないことでしょ。)」
「あー……はいはい。それで、アンタはいったい何に気付いたの?」 しかしまあそこはそれ、長らく共に旅をしてきたよしみ。サンディは寝ぼけ眼をこすりこすり、半身を起こしてトラヴィアに尋ねてやる。すると彼女は、尚も「彼女にしては珍しく」を重ねて、待ってましたと言わんばかりに胸を叩いてこう言ったのだった。 「天使界に居た頃学んだの。人は異性に対し恋愛感情を抱く。しかし、それは時には、相手を誰にも奪われたくない、という願望を主とする独占欲に変わるのだとか。 私は師イザヤールを心より敬愛している。だけれど、それは、あくまで師に対する弟子の感情。私は彼が私のみを見ていることなど決して望まない。私は師に愛する異性が居るというのであれば、その関係を祝福するだろう。 ……でも、」 トラヴィアはそこで一瞬だけ目を伏せた。それは今は亡き師を思ってか、それとも他のことに思いを馳せてか。 けれどもすぐにトラヴィアはサンディを真正面から見つめて、話し出す。 「私はこの前ニードに会ったのだけれど、そのとき彼は別の女性――リッカの話をしていた。楽しそうに話す彼の姿を見て、私の胸はどういうわけか、ちくりと痛んでしまったの。 そのときはただ私は自分を責めるばかりだったけれど、今気付いたわ。それはきっと、独占欲からくる嫉妬の類の感情! 私はそのような感情を、今まで一度たりとも師に対して抱いたことはない。」 そしてトラヴィアは誇らしげに胸を張った。今しがた自身がいったいどれほどの問題発言をしたかなど、全く気付いていない様子で。 「どうです、サンディ。これこそが、私が師に対して恋愛感情など抱いていない何よりの証拠。分かってもらえたかな?」 「…………。」 長い話の間にやっと目を覚ましたサンディは、自信たっぷりな様子のトラヴィアを前に盛大に溜息をついた。長く、深く、息を吐き出す。そうして呆れの気持ちをどこかへ追いやって、何とかしてサンディはトラヴィアに声をかけた。 「………アンタさあ、ミョーに自信もっちゃってるみたいだケド、」
「アンタの言うとおりに考えると、アンタはイザヤールさんじゃなくてニードが好きってコトになるんだけど、そこんとこ、分かって言ってる?」
気だるげなサンディの発言でも、トラヴィアの顔を真っ赤に茹で上げて場の空気を一変させるには十分過ぎるほどだった。 沸騰してそのまま蒸発してしまうのではないかと思わせる程にトラヴィアの顔は真っ赤で、唇はわなわなと震えていて、本人自身も何が何だか分かっていない様子である。 それを半眼になって見ながら、サンディは思った。そのうちトラヴィアは中途半端に自我を取り戻して取り乱して、また前みたくサンディを掴んで振り回して乱暴に扱うに違いない。 すぐにその手を避けられるよう少しずつ距離をとるサンディだったが、元々彼女の興味のあるところであったはずの色恋沙汰がやっと起こりそうになった今でも、どこか達観した気持ちになってしまうのだった。トラヴィアのことだ、どーせ“コイバナ”だってつまらない。 やっと重い腰を上げて振り返るサンディの背中で、トラヴィアがついに口を開いて声をあげた。 それは、いつものアレ。普段は冷静な彼女が心を揺さぶられたときに使い始める敬語。
「――そ、そ、そ、そんなこと、ありませんっ! 私とニードはただの友人です!!」
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