何も無かったことにさせて
だが私は知っている。師が、イザヤールさまが、私に自分自身を重ねていたことを。
私はまだ若年の天使だ。イザヤール様の重ねてきた300年をゆうに越える時を顧みれば、取るに足らない、ちっぽけな時間だ。
私は私なりにそのちっぽけな時間を使って、あることを調べた。
イザヤールさまの過去。
その中で私は見つけてしまったのだ。イザヤールさまが、私に自分自身を重ねる理由。
どうして彼が私を弟子に取ったのかを、私は知らない。だが私は知っていた。彼が私を見る目は、私ではなく、彼自身に向いていたのだということを。
「ほら、トラヴィア。ご覧。」
イザヤールさまに促され、私は視線を遥か彼方に投げる。点視界の建造物、そこに暮らす天使、世界樹。視界はダイナミックに躍り、結局は単なる青い空に終着した。
「…………。」
私は平坦な気持ちで空を見上げる。イザヤールさまもそれは同様だ。
私にとっては空などどうでもよかった。ただ、イザヤールさまがそうしたからそうした。
「きれいな空だろう。これは昔から何一つ変わらないことだ。」
「…………。」
「昔、私に教えてくれたひとがいる。疲れたとき、心が磨り減ってしまったときは、長い年月を過ごしても変わらないものを見るといい。それはずっとそこにあるのだ、長命の我ら天使が生まれるよりずっと前から。」
「…………そうすると、何か良いことがあるのですか。」
私は師に質問する際にも、空を見上げることをやめなかった。青い中に転々と白い雲が存在しているのを、何となく認識する。
イザヤールさまは、小さく首を振って私に答えた。
「何もない。だが、何もないものを見たら、またそこから何かを考え始めるといい。何もないことを乗り越えれば、きっと何かがある。」
「…………そうですか。」
私はやっと空を見ることをやめた。私は空を見たが、私の心に、特に何かが生まれたわけではなかった。
何もなかった。
私はまたイザヤールさまと共に歩き始めた。ぽつり、ぽつりとこれからのことを話して、そうしているうちに、私の心に生まれるものがある。
まず最初に、私は、今しがたはイザヤールさまの目を見ていなくてよかった、と感じた。ああいう哲学的な話をなさるときのイザヤールさまは、悲しいかな、たいてい私を見てはいない。
もしも彼の目を見てしまっていたら、きっと今、私の心は、極限まで無に近い有ではなく、ただひたすらの悲しみに埋め尽くされていただろう。
それ以降は特に何もなかった。
ただ何となく、私はそれからは、エルギオスさまはどのような方だったのだろう…と、もう知ることは叶わない思いを馳せた。
今のイザヤールさまが、彼に酷似していなければいいな、とも思う。
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